サッカー少年よ、勉強しろ!

サッカー少年から一転、2017年中学受験に向けて勉強はじめたツグオの記録。兄ナガオはサッカー三昧。

検査結果説明、腫瘍は予想より大きかった - Day27

検査結果の説明の日がきました。検査の時より数倍緊張するなーと思い、念のため血圧を測るもひどく正常。ただ脈拍は97と軽く運動したくらいドキドキしてました。( ´艸`)

一緒に説明を聞きに来た夫に「おもったより血圧は低かったよ」と余裕をみせてみるも「さっき昼ご飯食べたばっかでしょ?食後は血圧さがるんだよ」と一蹴されました。とほほ。

診察予約時間を1時間も過ぎたころに、やっと呼び出しがあり診察室へ。患者さんはみんな不安だから診察はどうしても押し気味になるよね。先生に「本当に長くお待たせして申し訳ありあません」と丁寧にお詫びいただいたけれど、そんなの全然気にしてませんわよ!

まずは各検査の結果を一つずつ説明してもらった。曰く

  • 血液検査はすべて正常(注、一年前からずっと好酸球値が高く、今回も上限8のところ19もありました。おかげで皮膚炎とかゆみにはひたすら悩まされています。)
  • BRCA遺伝的検査は陰性(つまり私の癌は遺伝ではなく、子供にもBRCA1/2の遺伝はいかない。ただ他の遺伝的癌については未知数)
  • 針生検の結果は浸潤性乳管癌、HER2 3+  ki-67 HIGH
  • リンパ節細胞診悪性、鎖骨上リンパ節まで腫大あり
  • PET-CT 明らかな遠隔転移なし

いいニュースは遺伝性の癌ではないので、BRCAについては子供たちのリスクが高いわけではないこと。また遠隔転移がないこと。

悪いニュースは乳房の全切除、リンパ節の郭清は必須であること。そして乳房の同時再建は行えないこと。

乳房の全切除は覚悟がついていたのですが、再建がすぐにはできないことはとてもショックでした。人前では絶対に泣かないと決心していたのですが、涙腺がコントロールできず。。。先生はごめんなさいね、つらい話よね・・とティッシュを渡してくれました。ごめんなさい、先生は何も悪くないのにね。

抗がん剤の治療は半年、その後手術、さらに放射線治療、おそらくハーセプチン(HER2タイプに効果のある薬)は1年は投薬されるとのことでした。

手術後の話はまだ先になるのですが、リンパをとるのでリンパ浮腫にならないようリハビリに通うとか、放射線治療は毎日通うとか、思ったより治療はながく大変そうです。

髪の毛を失うとこ、乳房を切ること、それがあまりにつらくて、また聞いてしましました。

「先生、治療しないとどうなりますか?どれくらい生きられますか?」

先生は真面目に、そういう選択もあるんですよ、といいつつ、「難しい質問ですが、あなたの場合、すぐに転移して2,3年でしょう」とのこと。

元気で2年生きられれば十分なんだけどなーと思ってたのが顔に出たのか、「乳癌は特殊なので、治療しなければ表面に出てきますよ。」と言われました。そっか、私の癌は大きいのか・・・

横で聞いていた夫は、「治療すれば治るんだから!何言ってるの」みたいに困ってた。夫に話してはいないけれど、乳癌のあるあたりに痛みがあって、様子がおかしいのは自覚して私としてはあまり楽観はしていない。

治療しなければよくて3年生きられる、けど元気にすごせるわけじゃなさそう。それも困るな。痛いのはなんとかなっても、癌が表に出てくるのはやはり避けたい。

「がんばって治療します」

殊勝に誓ってみた。先生も夫もがんばろう!という雰囲気だったけど、私はまだ”きれいに人生をしまえる方法はないかな”と心の隅で考えていました。

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ちなみに、先生に「くれぐれもネット情報を見すぎないこと」とくぎを刺されていたのですが、さきほど気になって調べてみると・・

私のステージ3Cというのは -->鎖骨上のリンパへの転移があるので、5年生存率は50%。化学療法が効けば生存率はあがるようだけど。奏功しなけれ30%程度。

 

先生の「見るな!」の意味がわかりました。ネット検索するまでは根治できると信じていたけど、悲観的な情報を目にしたとたんとんでもなく気持ちが落ち込みましたよ・・

ここからが人間性のみせどころだな。

神様、どうか私がかっこいい私でいられますように。