サッカー少年よ、勉強しろ!

サッカー少年から一転、2017年中学受験に向けて勉強はじめたツグオの記録。兄ナガオはサッカー三昧。

言わぬは言うにまさる、のか。

子供の学校の成績にどれくらい口を出すべきか。

最近このことでずっと悩んでいる。人生、勉強がすべてではないけれど、学生の本分は勉強だし、中学生の間の勉強は人生の基盤となる学問だし、学ぶことは何より刺激的で楽しいことのはずだし。第一成績が低迷していることを可とできる人は少ないんじゃないかな。

ともなれば、子供のテストの結果が悪いと、ついよかれと思って小言を言ってしまう。他人事と知らん顔できればどんなに楽だろうと思いつつも、母親以外誰も耳の痛い話はしてくれないのだから、と注意をしてしまう。もっと前向きに、学ぶことの本質をとらえて勉強に取り組むけば人生はより実り多きものになるのだよ。今の君はせっかくの学ぶチャンスをどぶに捨てているのだよ。

この心のこもった忠言に子供が「はっ!そうだったのか!」と目を覚ます・・・はずもなく。単にうざがられ、キレられ、噛みつかれるだけ。わかってはいるのだけれど不毛なルーティーンから抜け出すことができない・・・

ゲームに消費する時間がいかにもったいないのか、能動的に勉強しないことはどれほどの損失なのか、分かってほしいけど、それはその無駄な時間を過ごしたのちに気づくことなんだよね、きっと。

 

自分が学生だった時を思い出してみると、親から勉強しろ、なんて言われたことは一度もない。遅刻しても早退しても、遊び呆けていても別に何も言わない親だった。そして私自身はなぜか勉強しなくても大学受験にも困らなかったから当時はそれで万事オッケーだった。でも放任的な親の姿勢に感謝しているかといえばそうでもなく、今思うのは、「あの頃、もう少し親が私に口うるさく毎日3時間は机に向かいなさい!」と言ってくれてたら今より数段マシな人間だったろうな、ということ。

でも、だから、自分は子供にアドバイスした方がいいんじゃないかと思うんだよね。私の失敗が子供たちの成功につながればいい、なんて思ってしまうんだよね。親子でも違う人生なのだからそれはもちろん叶わぬ夢なのだけれど、同じ轍を踏むことなかれと願うのはきっと古今東西すべての親に共通するに違いない。

 

中学受験時に子供を励まし続けた態度を取り戻すべきなのか。それとも言わぬは言うにまさるのか。

まったく悩める今日この頃。