サッカー少年よ、勉強しろ!

サッカー少年から一転、2017年中学受験に向けて勉強はじめたツグオの記録。兄ナガオはサッカー三昧。

乳房全摘出手術 入院1日目 - Day 255

(化学療法から手術までの出来事はおいおい補完しておこうと思います。忘れないように、先に現状をログしていきましょうかね。)

後半の化学療法、ドセタキセル+パージェタ+ハーセプチンを3週間ごとに4クール終わらせ、さらに薬が抜ける1週間を経て、とうとう手術入院の日になりました。ドセタキセルの副作用でふくらはぎ、太もも、お尻、二の腕、前腕の筋肉痛が本当にひどくて、この1ヶ月は立ち上がることもしゃがむこともままならず、動きはロボットみたいになっています。実年齢+20歳といった感じで股関節も全然開かないしほんと動くのが辛い。正座はほとんどできないのですががんばってやってみると、ふくらはぎを太ももの間にテニスボールを3個くらいはさんでいるような違和感です。ドセタキセルは副作用が抜けるのに3ヶ月くらいかかるというので、いつかはこの痛みもむくみもなくなるはず!と祈るような気持ちで日々を過ごしています。

なにしろ元々とても頑丈な体なので大きな手術は初めて。友達は「出産以来の大手術じゃない?」と言っていますが、出産は手術ではないしとにかくハッピーな気持ちなので乳房全摘出の手術とは比較対象にはならんと思うよ。。。

入院先は自宅から車で30分程度なので、10時すぎに夫が車で送ってくれました。万が一のことが起きたときに悔いがないよう、入院前にローソンによって「どらもっち」の無料クーポンを使っておきました。ダイエット中なのでどらもっちはは息子へお土産にしてもらいましたけど。

無料クーポンでゲットしたどらもっち。ハッピー♡

病院についたらまず採血。前回とんでもなく低い好中球値(300くらい)を叩き出した身なので、手術前に再検査したのですが、まともな値に戻っていたので手術も問題なく行えそうです。しかーし、病棟に入る前におでこで検温したら37.8度もあって一瞬びびりまくりました。(手首で測ったら36.9度)ハゲ頭保護帽子のせいでおでこはとっても温まっていた模様です。ww

この病棟には前年の10月に治療入院しているのでおおよそのルールは了解ずみ。なので割とスムーズに入院できたかなー。簡単なインストラクション、薬剤師面談、栄養士面談、看護師面談を終えて、翌日の手術時間を家族に連絡したらあとはやることなしー。この入院期間中に読もうと思っている本をベッドサイドにならべたり、ゴミ袋をセットしたり、持ち込んだクッションを配置したり、ときどきウトウトしたり。

そうこうしているうちに主治医の先生が様子を見にきてくれました。この日に先生に会えると思っていなかったのでめっちゃ嬉しい!先生は手術で間違えないように、摘出する方の胸の鎖骨に黒マジックで印をつけ、私の頑固な腫瘍を触診して「傷は少し大きくなります。リンパも大きめにとるから・・」と悲しげ。でも「先生、できるけ格好よい傷にしてくださいね、シャっとしてスッとした感じ」と私が言うと吹き出してました。

右胸を全摘することを考えるといつでもオートマティックに涙が出てきます。ドセタキセルの副作用でただでさえ涙の量が多いのでなおさらです。大声で泣きたい気もするのですが自己憐憫はやめようと決めたので考えないようにしています。うちの近所にいる野良猫たち、片目が潰れていても片足がなくても「私かわいそう、前の私じゃないみたい」なんて顔してないですもん。私も自然界のそういう美しさを身に纏っていたいです。

先生と少し話をしましたが、「術後の病理の結果をみないとなんともいえない」と、化学療法で完全奏功を得られたのかどうかについては教えてもらえませんでした。でもいつも(無駄に)楽観的なシナリオしかはなさない先生のこの口ぶりでは完全奏功ではなさそうです。だいたいリンパに悪性腫瘍が残っている時点で完全奏功ってありえるの?と疑問ですし。

完全奏功であれば、放射線治療の後はパージェタ+ハーセプチンを9ヶ月の治療。完全奏功していなければ、放射線治療の後にカドサイラ9ヶ月の治療になります。完全奏功してないということはガンが身体中に広がっている可能性があるということなので、転移の可能性もあり(そうなると根治はもうできない)、ガンとつきあってあまり長生きできないシナリオを考えないとなんだろうな、と考えています。好きなように生きて、身の丈に合わないほどの幸福な人生でしたので、それはそれでいいのですが、心優しき夫と鷹のように優秀な長男といつまでも幼い次男のことを考えると、またもや涙が出てきます。ま、彼らのことだから私がいなくてもめいっぱい楽しい人生を送るとは思うけどねw

思うことは多いけれど、ネガティブな気持ちは心から締め出して、NetflixでVIVANTを一気見します。明日の夜は痛くてウンウンうなってるかな。痛いと感じることができることはそれでも幸せなことなんだろうな。

スーツケースにつめた入院グッズ。荷物の半分はバナナクッションww 

 

化学療法1クール、一週間の様子 - Day51

初めての抗がん剤治療からきっかり一週間が経過しました。高い頻度でおこる副作用から頻度は低いが重篤な副作用まで細かく説明されて、ドラマでみるようなバケツをかかえて背中をさすってもらう己の姿を想像したりもしていましたが、結果からいうとこの一週間でおきた副作用はほぼなく。めっちゃ普通に生活してました・・・ベースが頑丈な体です。

もちろんゼロではなく、気になったのは以下

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強く死を意識する - Day47

乳がんが発覚したとき、告知されたときとでもいうのかな、多くの人がひどく動揺して泣いたり落ち込んだりするといいます。私も主治医の先生に、「”がん”を告知されて気分がふさぎ込むのは当然の反応です。でも最初はひどく落ち込んでも2,3週間で気持ちは落ち着きを取り戻します。もし一か月すぎても気分がふさぎ込み続けるときは、専門のチームでサポートするので教えてください」みたいなことを言われました。

しかし自分を振り返ってみるとさほど気分が落ち込むということはなかったかなぁ。何もしなければ余命は2年程度、といわれたときも。毎年検診うけていたのに、なぜがんを見つけられなかったのか、という後悔もなかったし、もっと初期のガンだったら・・とタラレバにぐるぐると思考をからめとられることも。

私の場合、50年、本当に好きなように生きてきたし、やりたいことはやったしな、という自覚があるからかもしれないです。口癖は”明日死ぬかもしれない”ですしね。死に対して現実感が薄いというのもあるとは思います。でも長生きしようと抗がん剤治療を頑張っている最中に事故に遭うことだったあり得るわけで。あと何年生きれるなんて、やっぱりわからないじゃないですか。

ステージ3Cの乳がんになって、5年生存率を検索して80%となっていても、自分は20%の方に入るかもしれないしね、とも思います。まったく別のガンになるかもしれないし、脳梗塞とかで倒れるかもしれない。私はいつも思うのですよ。たった一つ誰もが知っている事実は、人間は必ず死ぬということ。でもほとんどすべての人は「いつかは死ぬけれど、それは今日や明日ではない」と妄信してるんですよね。

明日死ぬと思って今日を生きることは別に恰好いいことではないですけど、そう思って日々いろいろ準備しておけば、残された人は困らないかなとも思います。

我が家の場合、私が死んでも物理的に困ることは何もおきません。それでも貯金のこととか投資のこととか夫はほとんど知らないので(関心がないらしい・・)、先日首根っこつかんで、資産一覧を説明してメモらせました。一応リストは以前から作ってはいるのですが、今回口頭でも説明したので少し安心です。

以前より死を意識するようになって、貯金はやめました。笑

うっかり長生きしちゃうリスクもありますが、あるかないかもわからない老後のために今を我慢しても仕方ないと強く思うようになり、貯金はもうしないつもりです。今日やりたいことのためにお金は使おうと思います。

念願の金峰山に登る。登山はがん患者にはおすすめらしい -Day39

ちょっと時間が前後しますが、一回目の化学療法の前に山梨の金峰山に登ってきました。ずっと登りたかった山なのですが、中央道の渋滞を考えるとなかなか日帰りで山梨登山にはいけず、でも「できない理由」を数えていたら何もできないので、3連休をつかって登ってきましたよ。

金峰山の登山ルートはいくつかあるのですが、一番楽な、大弛峠から朝日岳を超えて金峰山ピストン。コースタイムは登り3時間程度、下り2.5時間となっていますが、往復8時間くらいみるとするとやはり日帰りでは心もとない。。というわけで大弛小屋に前泊して、翌日ピストン、そのまま自宅へ帰着という予定をたてました。

土曜日の昼くらいに自宅を出発すると、中央道の渋滞はなんと49キロ。渋滞大嫌いな夫がやっぱり行かないというのではないかと心配しましたが、おそらく私の希望をきいてあげたいと思ったようで、結婚してはじめてではないかと思うくらいの大渋滞に自ら巻き込まれにいきました。( ´艸`)

中央道の渋滞はなかなかしびれる長さで、なんと途中で事故を4件見ましたよ。これが渋滞の原因かねーと夫と話しなが勝沼インターで高速をおりてフルーツ街道へ。もう何度走ったかわからない道です。その名のとおりブドウ畑や桃畑がたくさんあって山梨らしさ満点でした。

大垂水峠まではさらに車で1時間?2時間かな?くらいかかります。大弛峠、知らない人も多いかもしれませんが富士山の5合目より標高が高いんですの。日本では車で到達できる最高高度なんですのよ。2,360m、うちの夫の高山病が余裕で発症しそうな高さです。

結局夕方の5時くらいに大弛峠駐車場に到着、幸運にも下山する人が多い時間帯だったのかすんなり駐車することができました。その後は続々と’前泊’の車が到着してきて、車中泊の準備の人も多くてびっくりしました。下界は”命の危険をともなう暑さ”とニュースが喧伝していましたが、標高2000mを越えるとダウンが必要ですよ。めちゃさむかった。

大正からあるという年期の入った大弛小屋には3-4組の宿泊客がいて、宿泊客は12-3人といったとこかな?みなさん食事がおわると早々に19時には床につかれてました。小屋のご主人はおしゃべり好きなとっても明るい方でした。

この日の晩御飯は無水の肉鍋?みたいなやつで、煮えるまでおでんつつきます。めっちゃ寒いのでおでん嬉しい。

19時には熊の咆哮のようないびきが建物全体に響いてました。笑。山小屋あるあるですね。私も20時消灯にあわせて即眠りにおち、ぐっすり眠りました。最初は寒かったけど、自分の体温で布団が温まるとぽかぽかでした。なお物音に敏感な心優しき夫は完全に寝不足となりましたが・・・。

翌日は天気もよく、早朝から大弛駐車場は車であふれていてびっくりでした。みなさん、早朝に駐車場に車をとめて、日帰りの山行を計画されているので、当然早朝の駐車場はごった返します。ここに止めるなら下山組といれかわる夕方に車を入れて前泊するしかないと思いますね。ちなみに冬季閉鎖されるこの道路は完全に舗装されているので、普通のステーションワゴンのうちの車でも余裕でした。

それにしても。

人気の山ですね、金峰山。すごい人でしたー。アップダウンもあまりなく、朝日岳の少し手前で富士山の大展望がありテンションあがります!夫は「俺、山登ってこんな晴れてたことないし、富士山こんなに良く見えたの初めてかもー」とご満悦でした。まぁ登山は夏だし、夏は水蒸気多くて景色みにくいし、山の上はすぐ雲の中に入るし、午後は大抵雨ふるし、、

でもこの日は本当にきれいに富士山が見えて嬉しかったなー。

朝日岳からは金峰山のアイコンでもある五丈岩が見えました。まだ結構ありそうだったけど歩くと割とすぐで、最後はちょっと岩登り的な感じで楽しいルートでした。

五丈岩周辺はそれはすごい人で、ここはどこかのテーマパークかと思うほどでしたよ。若い人も多かったな。それにして空が青い!

誰一人五丈岩に登っていない中、心優しき夫が「あれ登っちゃダメなやつ?」と私に聞くので「登っていいよ。でもクライミングシューズじゃないし、危ないよ。落ちたら死ぬかも。」と答えたところ、「じゃ、登ってみる」とチャレンジすることに。人の話ちゃんと聞いてる??

遠くから見ていると、途中まではなんなくいけるのですが、やっぱり登山靴では足場がみつからず、完登とはなりませんでした。でもケガしないのが一番大事だからね。

 

金峰山からは富士山、八ヶ岳、その後ろに北アルプスと大パノラマが広がっていて、本当に素敵でした。絶対冬も登りたい、雪の中の五丈岩と澄んだ空気の中この大パノラマをまた見たいと強く強く思いましたよ。

こんなに短距離ルートがある百名山って他にないんじゃないかしら?

ほんのちょっとだけ五丈岩周辺でやすんだらすぐピストン。とにかく人が多いので常に行きかう人とあいさつを交わし続ける山行でしたが、これがあんがいメンタルにいいのかもね、と思ったり。山はやっぱりいいよにゃー。

そういえば、どこかのサイトで見たのですが、癌患者を山登りさせると腫瘍マーカーの値が下がるらいいですよ。(腫瘍マーカーって何かよくしらないんですけど・・)うちの先生も「登山は治療中も行ったらいいんじゃないですかねぇ」と言っていたので、治療中も山登れるかな?登れるよね?いや、登る!

下山後はフルーツ街道で信じられないくらい安い桃(しかも超おいしかった!)を大量に購入して帰宅。帰りの渋滞にも夫は「49キロの渋滞を経験したらこんな渋滞へでもねぇ!」と元気でした。

金峰山の神様、おじゃまさせてくれてありがとうございました。素敵な木花咲耶姫命のお姿も拝見いたしました。私の健康はまぁ成り行きまかせでいいので、家族が楽しく仲良く暮らせますよう見守ってくださいね。

化学療法一回目 - Day44

作法がわからないまま、化学療法の一回目が行われました。

診察の待ち時間を削減するため、9時からの診察の予約をいれ(先生の、朝一が一番待たせないよ!の一言で決定)、9時の診察に間に合うよう8時に採血。朝一の診察のために採血も優先レーンをつかえるのですが、どこにいけばよいかよくわからず(前回の診察の際に看護師さんに丁寧に説明されたことは全力で忘れました)、朝7時半にいって整理券をもらって通常レーンにならんでしまいました。採血終了9時半だったので、血液検査の結果をまって9時半からの診察となりました。

1週間ぶりにご対面の主治医様、優しい顔で「治療の方針は納得できましたか?どうします?」とファイナルアンサーを求めらえ・・・「私に何かオプションはあるのでしょうか?元気に2年生きるでいいんですけど・・」と私が言うと、先生はおや?という顔をして、「元気に2年は生きられますよ、治療すれば」とのお答え。そうですよね、私は死ぬ病気ではないのです。ただ先生の言う「元気」と私の求める「元気」に若干よりやや大きな乖離があるだけでして。。

はい、がんばって治療します。とぼそぼそ答えました。そのあとは薬剤師さん面談があって抗がん剤の副作用の説明や対処などをレクチャーされました。その後看護師さんから化学療法の作法を教えられて、いざ出陣です。化学療法の手順は以下

EC療法

  1. まず服薬ーイメンドカプセル 吐き気止め
  2. 吐き気止め点滴(5分)アロキシバック+デキサート
  3. 抗がん剤(5分)エビルビシン
  4. 抗がん剤(30分)エンドキサン
  5. ルートを流す補液(5分)生理食塩水

1時間くらいで終了です。テレビのあるリクライニングソファに横たわっておけばあとは看護師さんがテキパキと点滴をかえてくれるので寝てるだけ。実際私はずっと寝てました。

事前にエンドキサンはワサビをたべたように鼻の奥がツーンとなる人がいると看護師さんから聞いていたのですが、これがびっくり。そんなツーンとかかわいいものじゃなくて、かき氷をかきこんだときのように頭とのどの奥がキーンといたくなってびっくりしました。あまりの痛さに目がさまめしたよ。

大丈夫ですか?と聞かれて「頭がめちゃくちゃ痛いです。」と言ってみましたが「点滴おわったら治りますから、ひどいようだったらカロナールのんでくださいね」と軽やかに返されました。そうか、痛かろうが痛くなかろうが治療がとまることはないのだね。。

化学療法室は全部で20床くらいあるのかな?多い日は200人の患者さんがくるというのだから私の頭痛に付き合ってる暇は確かにないだろうなぁ。

 

無事初めての化学療法を私が終えた傍らで、心配性の夫は「今日はなにがなんでもついてく」と車で送迎して治療が終わるまで病院併設のカフェで仕事してました。余裕綽綽の私を見て安堵したような肩透かしのような。治療は一瞬だった、寝てたからというと、さもありなんという反応でした。

次の治療は3週間後。副作用対処のために大量の薬が処方されて、すっかり病人気分です。あー、なんか気が重い。病院くるとほんとメンタルやられます。。

化学療法の説明を受けた日。謙虚な自分であることを願う。- Day36

抗がん剤治療にむけて乳腺内科の先生の診察がありました。それまでは乳腺外科の先生の診察のもと検査をうけていたのですが、HER2+のがんは薬がよく効きますし、かつ私の癌は4センチと6センチらしいので手術でとるのはやっかい&リンパにも転移しているので、目に見えない体中に回っているであろう癌の種を抗がん剤でやっつけることが先決だそう。というわけで化学療法(抗がん剤)のため内科治療が始まることになりました。

最初に先生に「治療について何かご希望はありますか」的なことを聞かれて「治療はしたくありません」とつい仏頂面で答えてしまいました。先生は「ほう?」といった感じで「どうして治療はしたくないのですか?」と聞かれました。髪の毛が抜けることが嫌なんです、それだけですけど、、という私に、そうですか。と先生。私の発言に異を唱えるわけでもなく、深堀するわけでもなく、そうですか、とだけ。

この日、診察に付き添うおうか?という夫には時間がかかるだろうから大丈夫だよ、といって自宅に残してきました。、夫の前で「治療はしたくない」というと彼をとても悲しませてしまうので、この日は一人で診察をうけることに。冗談ばっかりいう夫がいないと私一人ではあまりにも不愛想で、先生にもうまく質問できないんだなぁと思わずにはいられませんでした。

このままではいかん、と自分のスイッチをいれかえて、正確に話ができるよう何度も言葉を言い換えながらこのまま治療しなければどうなるのか、どのように死ぬのか、などを質問しました。

先生曰く、「この乳癌であなたが死ぬことはありません。でも転移するし、すでに体中に癌の種がまかれている状態ですので、転移した癌は命をおびやかします」とのこと。転移していない癌は初期癌で根治が可能だけれど、転移してしまうとあとはいかに癌をコントロールするかという話になるらしい。

無理強いはしません。でも転移したらその癌に対して抗がん剤治療をすることになりますよ。と話す先生に、結局私は自分の率直な気持ちを話すことはできませんでした。

化学療法と手術の関係、抗がん剤の種類、副作用、スケジュール、諸々を説明していただき、なんの感慨もいだけないまま、ただただうなずくだけでした。

治療はしたくないんです、短くてもいいからちゃんと生きていたいんです、抗がん剤の副作用に苦しみながら、癌を乗り越えて、見た目に変化がおきて、乳房を失って、あと20年生きたいとはどうしても思えないんです。

 

とはいえ、私の癌は初期癌なので、先生にしてみたら多分そんな大したことない病気にどうしてそんな感情的?と思うレベルなのかもしれない。髪の毛なんてそのうち生えてくるよ、乳房だって二次再建できるよ、って思ってるかも。命をまっとうすること、できる限り長く生きようとすることが医療の世界では正解なのかな。

治療できるという幸運を謙虚に受け入れることが私には一番必要なことなのかも。病気をするとそれを知っている周囲の人から甘やかされますからね。気を使われて甘やかされて「こっちは癌なんだから大事にしろよ!」みたいな癌暴君にならないように。

Before癌もAfter癌も変わらずいようと決めたのだから。

神様、どうかカッコいい私のままいられますように。

無駄づかいということなかれ。脱毛前にやっておくことがあるのだ。-Day35

乳がんを患った友達はいるのですが、みんなステージ1とかで抗がん剤なしで乳房一部切除と放射線治療というケースが多く、抗がん剤で脱毛なんてうっかりやさんがいないのです。確かにどうして毎年マンモとエコーうけといてステージ3になるまで乳がんみつけられなかったよ、自分?って私も思いますよ。うっかり屋さん、てへぺろなんていってられません、生死かかってますよー、でも見つからなかったものは仕方ないじゃぁないですか。

治療はまだ始まってないものの、「100%脱毛します」と外科の先生から宣告されているのでそこの覚悟だけはつけておかねばと日々思っています。そこでやっておきたいことが2点。

  • ウィッグを被るようになったときに「突然どうした?」と思われるのを避けるため、今のうちから突拍子もない髪の色にしておく。
  • 長期計画で伸ばしている途中の髪の毛をショートのウィッグくらいまで切っておく。そしてその後に髪の毛が抜ける前に坊主にする。

本当にそれ必要?と思いますよね、私も完全なる自己満足だし、第一誰も私のヘアスタイルなど気にかけてはおらぬ!と勘づいてもいます。でもこれは私ががん治療に入る前に必要な儀式といっていい。完全に方向間違えているとは思いますけど。

というわけで。いつもの美容師さんのとこに行って、「ロングヘア計画はわけあって断念しました。耳たぶあたりまで髪の毛をカットして、金髪にしてください!」とお願いしました。真っ黒な髪色がトレードマーク(と自分で思っている)私としては大胆なオーダーです。が、

「残念ながら、君の髪はマニキュアで黒くコーティングされているので金髪にすることはできません。数ヶ月かけて、これから生えてくるところの色を抜いていくことになるので長期計画だね。」との回答。

むむ、長期計画は無理なのよ、あと2週間くらいで私の髪の毛なくなっちゃうんだもーん。しぶしぶ事情を説明すると、美容師さんも考え込み、そういうことであれば、できる限りがん患者君の希望は叶えてあげたいかも。。やってみよう。

ということに相成りました。

メッシュ用のキャップをかぶって表面の髪の毛を少しずつとって、ヘアマニキュアをはがし、ブリーチ、さらになんかの色を入れている模様。時間もかかるしお金もかかる。1ヶ月もしないうちに抜けてしまう髪の毛に・・いえ無駄じゃありませんよ!

で、出来上がったヘアスタイルがこちら。

 

前髪は重め、でも襟足から後頭部にかけては割とスッキリ。可能な限りメッシュで明るくして・・実際はかなりオレンジよりの黄色頭です。写真よりかなり明るいです。

美容師さん、がん治療をする人の髪の毛をカットすることも多いらしく、「写真とっておこうね」といって何ショットかとってくれました。髪の毛がなくなったあとで、自分の髪型がわからなくなるらしいので、こういう写真必要みたいよ。

「こんなに元気なのに。なんか信じられないよね、この髪の毛も抜けちゃうなんてさ。」としんみりしてました。ここでも他人にダメージを与えてしまいました。

その後持っていった2900円ウィッグもちょこっとカットしもらいました。(しっかり料金はとられた)ウィッグ代金よりカット料金の方が高いというミステリー。

金髪にしてくるぜ!といって美容院にいってこの頭で帰宅した私にザ・金髪の次男は、

「お母さん、そのカラーは、茶色でさえなく、いうなれば黒。金髪なめんな!」との感想。金髪にするのって難しいのね。。

夫からは「夏木マリのファンキーさには遠く及ばない」と言われ。

無駄遣いといわなかったあたり、彼らの優しさでしょう。