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サッカー少年よ、勉強しろ!

サッカー少年から一転、2017年中学受験に向けて勉強はじめたツグオの記録。兄ナガオはサッカー三昧。

潜在意識は主語をもたない。自戒をこめて。

数年前に潜在意識の「有効性」みたいな本を読んだときに私も初めて知ったのだが、潜在意識とは自己と他者を区別できないそうなのだ。それ以来、自戒も込めて子供達にもよく言っている。「潜在意識は主語をもたない。だからあなたの発した言葉はすべて主語が『私』としてあなた自身が捉えてしまうんだよ。だからできるだけポジティブな言葉を使うようにしよう。」

まとめサイトもあった。

matome.naver.jp

 

例えば「あいつすげぇやな奴!」と言うと、潜在意識は「私はすごくいやな奴」と認識してしまう。逆に「あいつめっちゃ優しい!大好き!」と言うと「私はすごく優しくて愛されている人間」となるわけ。難しい事考えなくても周りを見ればすぐわかる。明るくて前向きな人は幸せそうだし、他人の文句ばっかり言っている人間は概ね不幸そうだ。

人を憎み嫉み僻む心はそのまま自分を蔑むことになってしまう。これ、最悪じゃない?少しでも気分をよくしたくて他人のあらを探してるのに、実はその考えそのものが自分をおとしめ、自己嫌悪の無限地獄におちいるなんて。。

サッカーをやっていると潜在意識の力は本当に大きいと感じる。例えばPKのキッカーには「絶対決まる」という強いイメージが必要だ。決めるという意思ではなく、シュートが決まった瞬間の明確なイメージみたいなもの。選手がボールを頭にあてて目を閉じているのは祈っているんじゃなくてイメージしているんだと思う。これが相手のシュートが失敗することばかり願う選手だったら絶対にPKを決めることはできない。

勉強や仕事も同じ。自分が頑張る以上に「人の足をひっぱること」に意識が行く人はきっと自分の足をひっぱってる。「人に足をひっぱられている」と不安な人もやはり自分の足をひっぱってる。( ̄ー ̄;

ちっちゃい子供って、よく「◯◯君ってすごく勉強ができるんだよ!」とか「足が速いんだよ!」とか「親切なんだよ!」とか友だちのことを我がことのように自慢するよね。親からみると「で、あんたはどうなのよ?」と切り返したくなるけれど、他人がハッピーなら自分もハッピー!っていうその感覚は生きて行く上で大切にしていくべきものなのかも、て最近思うよ。

 

与えよ、さらば与えれられん。

(私は浄土真宗。)